こんにちは、現役医療従事者のとってぃです。
先日、映画「ブラックパンサー」を観てきました。
感想としては、
「ある程度派手なアクションあり」
「大手がつくってるので、内容も分かりやすい、テーマもしっかりしてる」
そんな映画をサクッと観たいひとにおすすめできます。
そもそもなんでこの映画を観ようと思ったのかというと、
「なんとなく映画館で映画が観たいなぁ・・・」
たまにそういう気分のときってないですか?
この映画が観たい!みたいな感じではなく、面白そうな映画だったらなんでもいいや、みたいな。
そしてぼくが選んだ映画は「ブラックパンサー」です。
まぁ期待したとおりの映画でした。
とくに個人的な感想としては、父親と子との関係についてとくに考えさせられたので、それについて話したいと思います。
目次
映画のあらすじ
アフリカの超文明国ワカンダの若き国王ティ・チャラが、漆黒のスーツと鋭い爪を武器に戦うブラックパンサーとして活躍する。絶大なパワーを秘めた鉱石「ヴィブラニウム」が産出するアフリカの国ワカンダは、その恩恵にあずかり目覚ましい発展を遂げてきたが、ヴィブラニウムが悪用されることを防ぐため、代々の国王の下で、世界各国にスパイを放ち、秘密を守り通してきた。
映画.comより引用
あなたはこれまでの人生で、両親からどんな影響を受けてきましたか?
いきなり唐突なんですが、
「あなたはこれまでの人生で、両親からどんな影響を受けてきましたか?」
実はぼくは父親とは真剣に話し合ったことがありません。
父親と仲が悪いとかそういうわけじゃないんですけど、なんとなく苦手意識があります。
なのでどちらかというとぼくはお母さんっ子でした。
母親は、ぼくの将来のことを話すときによくいっていました。
「将来は公務員がいいよ、安定してるから」「よその家の〇〇さんは公務員だから定時で帰れて、給料もしっかりあるし」
今現在のぼくは、比較的安定した職業である医療従事者として働いているので、
確実に母親の影響は受けていると思います。
父親の後を継ぎ、若き国王になった主人公
ここから映画のはなしになります。
国王である父親が暗殺されたことにより主人公であるティ・チャラが急きょ父親の後を継いで国王になります。
当然ですが国王はめちゃくちゃ責任重大です。国民の生活が国王の判断1つで大きく変わってしまうわけですから。
つまり国王になってしまった主人公に失敗は許されないということです。
そのため主人公は偉大な国王であった父親のようになりたい、いやいっそのこと父親自身になりたいと思っています(多分・・・笑)
父親のマネをしてれば失敗しないわけですから。
父親もまた、息子に自分のようになることを望んでいました。
これって、ぼくと母親との関係と似ていませんか?
要するに息子に失敗してほしくないんです。
失敗しないために、あぁしなさい、こうしなさいと口うるさいんです。だいたいの親ってこういう感じですよね。
わが子に対して「ゲームばっかしてないで、将来のために勉強しなさい」ってほとんどの親が言ってますよね。
まさにこれがありがた迷惑なわけなんですが・・・
伝統志向型の罠に陥ってしまった若き国王
伝統志向型というのは、アメリカの心理学者のD・リースマンが提唱した社会的性格の三類型の一つです。
D・リースマンは社会的性格を、「伝統志向型」「内部志向型」「他人志向型」の3つに分けています。
伝統志向型についてだけ説明すると、
自分が所属している社会の伝統的な行動様式(慣習、儀礼、エチケットなど)に忠実に従うことを自分の行動の基準とする性格類型をいう。
参考:コトバンク「伝統志向型」
この社会的性格は、近代以前の、産まれる人も多く、死ぬ人も多い社会で重要視されてきました。工業化が始まる以前の社会のことです。
この時代では、農業や漁業などの一次産業が中心で、ひとたび飢饉が起こると多くの命が失われてしまいます。
つまり食料生産の失敗が即、死へと直結していました。
ですから新しい農業などの生産方式や新作物に挑戦するよりも、今までのやり方を守っていたほうが良かったわけです。
このようにして、これまでの伝統を守る習慣(伝統志向型)が根付いていきました。
主人公は国王である以上、失敗は絶対許されません。
『失敗は、国の崩壊や国民の死』であるわけですから当然ですよね。
こういった立場的なこともあり、父親からの教えである、
「自分のようになりなさい」
「先祖代々受け継がれてきた考え方を守りなさい。そうやって国民を守りなさい」
という父親の言葉に、ある意味で洗脳されてしまったわけです。
あれ?父親間違ってるんじゃない??
しかしあるとき、息子は父親が過去に行ったある行為に違和感を感じます。
「あれ?父親間違ってるんじゃない?」
偉大な父親の過去の汚点。
その結果自分の心の中にできたわずかな違和感。
でも偉大な父親を尊敬しすぎるあまり、その違和感に蓋をしてしまいます。
違和感を感じたまま、父親の教えをある意味で盲目的に守って国王の責務をただこなしていく日々に戻っていきます。
このころの主人公はひどく平凡でつまらない国王
おそらくこの状態の主人公では映画にならなかったと思います。
だって父親の教えを盲目的に守っているだけの傀儡人形ですから。
主体性もなく、自分の進むべき道も一人で見つけ出せてない。
ただ漫然と、与えられた国王という役目を全うするだけ。
みていても”ただのつまらない人”です。
でもこれって、私たちにもいえることではないでしょうか?
ほとんどの人は会社に属しています。そこで上司から仕事を与えられ、それをうまくこなすことが一番の目的。
仕事はきつくて辛いものだという先輩たちの教えもあり、仕事の内容とか自分に向いてるか、なんてことも深く考えず。
しかしこれでは5年後や10年後に自分がどうなっているかは、完全にその会社や上司などに依存してしまいますよね。
自分のことをめちゃくちゃ考えてくれてる上司なら、案外うまくいくかもしれませんが、他人って案外自分のことなんてそんなに気にしていないものです。
ですから、自分の道は自分で見つけ出すことが大事になってきます。
敷かれたレールから外れるしかない
映画で、主人公は最終的に父親のしたことは間違いであったと、受け入れました。
そうして父親に対して感じた違和感に蓋をするのではなく、すべて受け入れ、父親を否定して、
そしてようやく、自分の道をみつけだすことができました。
ぼくたちもこの主人公と同じことをしなくてはいけません。
親世代の常識は、今の非常識です。
まわりの環境や技術、身の回りのありとあらゆるもの、すべてが違います。
つまり親の言ってることは当てにならない(間違っている可能性がある)ということです。
もちろん子どものためを思って親は言っています。
でもそれが合ってるか間違っているかというのはまた別問題です。
今は時代の変化が特にはやいです。
原始時代であればそんなに変化はなく、伝統を重んじていればよかったかもしれませんが、現代では違います。
この変化の早い時代を生き抜くためには、親の言ったことだけでなく、いろんなところから情報を仕入れること。そして自分の頭で考えることが大切です。
新しいことにチャレンジしなければいけないので、失敗することもあるかもしれません。
しかし現代では死ぬことはありません。
自分の頭でしっかりと考えて、チャレンジして、失敗して、修正して、そしてまたやり直す。
そうして自分の道を自分一人で見つけていく時代ともいえます。
最初はだれかのマネでもいいと思います。いきなり自分の道だなんて難しいですから。
大切なのは父親(あるいは他人)に言われたことをただ鵜呑みにせず、自分の頭で考えることです。
最終的に主人公は、父親とは違った形で国民を守るための自分の道をみつけることができました。
これがこの映画をみて個人的に思ったことです。
少し長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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